“開いたばかりの花が散るのを 「今年も早いね」と 残念そうに見ていたあなたは とてもきれいだった”で始まるこの曲。
生老病死、万物の流転を歌った曲ではなかろうか。
生まれては消え、消えては生まれる。新しい生命の誕生も、死にゆく生命と切り離せない。
この世の定めに対する悲しみと喜びをかみしめる“あなた”は、美しかったのである。
“健やかな産声を聞けたなら きっと喜ぶでしょう 私たちの続きの足音”
そして、連綿と続くこの営みには、愛があるのだ。
“全ての終わりに愛があるなら”
ここは注意が必要である。「全ての愛に終わりがあるなら」では、断じてない。「全ての終わりに愛があるなら」である。
それこそ、生まれては消える泡のような存在である私たち。物質的に見れば、化学反応である。実が熟して木から落ち、その種から新たな芽が生えて来る。ここに、愛があるとは、考えてみれば不思議なことである。
不思議なことであるが、これは、最大級の生命賛歌である。
そして、このざわざわした現象を静かに見守る“あなた”が“きれいだった”というところに救いがあると思うのだ。
何かと騒がしい俗世間に生きていれば、尚更である。