本書は、日本文学研究者による、研究の新たな方法論の試みである。
著者は、これを〈歴史的時間〉と名付けているが、この理論の提出の背景には、カルチュラル・スタディーズ、ポストコロニアリズムといった方法論における、問題意識の薄れに対する危機感があるらしい。
学術論文を基にしているだけあって、やや堅苦しい方法論の解説、その適用が逐一行われているが、この読みの緻密さこそが本書の魅力であろう。
1920年代から45年前後、井伏鱒二、中野重治、小林多喜二、太宰治という研究対象は、〈歴史的時間〉の実践のために任意に選ばれただけだということであるが、先行研究によってある程度「色」の付いている作家たちに新たな方法論で挑むというのは、興味深い。
評者にとって興味深かったのは、“いま、「少しもわからない」小説”として太宰治の『女神』という作品が取り上げられた章である。たしかに、この作品は発表された時代のコンテクストなしでは、わからない。それを読み解きながら、読者と作者の共同作業としての方法論を検討していく様子は見事である。
本書は、もちろん問題意識、政治性があり、その部分で拒絶反応を示す人もいるかもしれない。しかし、この作者の「読み」として、それこそ批判的に検討してみれば良いだろう。そして、読者自身も新たな「読み」を実践してみてはいかがだろうか。