『私以外私じゃないの』 ゲスの極み乙女。

「私以外私じゃないの」これは、自分らしさ(アイデンティティ)みたいなことを言っているのだろうか?
君は君で良いとか、その人にしかない良さがあるというメッセージは、世の中に溢れている。この曲が独特の響きを持つのは、
“恥ずかしくて言えないけど 私にしか守れないものを”
という部分による。
自分らしさとは、本来恥ずかしいものである。下手に突いたら、返り血を浴びるようなものである。それこそ、乙女のゲスな部分であり、TED で自信満々に発表するようなものではないのだ。

その恥ずかしい部分にヌルっと入っていく川谷絵音の仕業は、もう彼独特の才能としか言いようがない。この、澄ました顔で他人の心の中に入ってきて、「おまえの考えてることは、こういうことなんだろ?」と言う離れ業は、才能のない者が真似してはならない。
ためしに、若い娘の話を聞いて「わかるよ、わかるよ。僕だってそうだよ。」などとやってみたら、「はっ? 何言ってんの、このおっさん。」と気持ち悪がられるのがオチだろう。
太宰治でさえも、次のような有り様である。
“私は、貴方も、貴方の小説も、共に好みませぬ。毛虫のついた青葉のしたをくぐり抜ける気持ちでございます。”(太宰治『虚構の春』)