この曲で“若い歌い手”と呼ばれているのは、尾崎豊のことである。
ジェームス・ディーンも尾崎豊も若くして死んで、カリスマになった。岡林信康は、「フォークの神様」と持ち上げられたが、自分からその座を降りた。
この曲は、曲としての完成度の面では不完全というか、拙速な感じはするのだが、尾崎豊が死んだ時、何も言わずにいられなかったという岡林の率直な気持ちが、制作に向かわせたのだろう。
それでも、ジェームス・ディーンに自分や尾崎を重ねるのは、謙遜があると私は思う。ぶっちゃけて言えば「キリストになれなかった」ではないだろうか?
民衆の悲しみを一身に背負うというのは、やはり越権行為なのだ。だから、キリストは、彼の父つまり神のもとへ帰って行った。尾崎豊も、ただのおっさんになって、民衆の一人として慎ましく生きることが出来たら良かった。そう思う岡林の気持ちは、伝わって来る。
一度神輿に乗っておきながら、十字架に架けられる寸前で難を逃れる岡林信康の引き際は、絶妙である。
だが、一度引きこもった岡林が、その後一貫して慎ましく生活したのかは疑問である。尾崎の死に際して、このような曲を発表せずにはいられなかったのだから。
“生活を離れた理想は、――ああ、それは、十字架へ行く路なんだ。”(『正義と微笑』)と書いた太宰治さえ、人気絶頂の時に一線を越えてしまった。