今回、私が取り上げるのは、1995年に日本で公開され、今も尚、多くのサブスクで見られ続けている映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』(原題:Forrest Gump)だ。
1995年の第67回アカデミー賞でたくさん賞を受賞した(計6部門受賞、13部門ノミネート)超有名作品であるし、過去に死ぬ程様々な分析もされているであろうので、この題材を取り上げて良いものかと悩んだが、「今の時代を考える」上で、この題材が最も適している、という結論に至った。
この映画をあまり覚えていない中高年層、そして、この映画自体をあまり知らない若年層に対し、おおまかなあらすじをご説明する。
この物語は、ベトナム戦争、ウォーターゲート事件、公民権運動など、激動のアメリカ現代史の最中において、主人公で知能指数の低い、純粋無垢なフォレストが、ただその歴史の名場面に「いただけ」なのに活躍してしまうという姿を描いた話だ。
対照的に描かれているのが、彼がずっと愛し続ける幼なじみのジェニー。彼女は自由を求めて激動の時代を彷徨い、ヒッピーになったり、大麻・ドラッグに溺れたり、HIV/AIDS(後天性免疫不全症候群)になり亡くなる(尚、彼女の病名は明言されていない)。
本作が当時の世界中の多くの人々の心を掴んだのは、フォレストが「成功」を一度も求めていない点にあったと思う。
激動の時代の中、普通の庶民が、ただ真っ直ぐでピュアな気持ちと態度でそこに「いただけ」で成功を掴んでいくという、言わばそれまでアメリカ人に信じられてきた「野心的で頑張った者が成功する『能力主義』によるアメリカンドリーム」にアンチテーゼを突き付ける、フォレストによる言わば「『静寂なる』アメリカンドリーム」に、アメリカのスーパーパワーと世界的プレゼンスが衰え始めた当時、多くのアメリカ人は感動したのではないだろうか。
私がこの1995年の作品を敢えて今、取り上げることにしたのは、冒頭に書いたように「今の時代を生きるヒント」が詰まっていると考えたからだ。
今、日本は高齢化も50年続き、GDP も世界4位になり、物価高や米不足もありボロボロだ。このボロボロな状況において、情報化・SNS 化の波が人々の不安を更に不必要に煽っている。アルゴリズムによりターゲティングされた悪い情報ばかりが目につき、SNS で繋がった知り合いの目を気にし、比較したりされたり、身近感を感じるインフルエンサーたちの showoff によって自己肯定感が下げられ易い社会になっている。
当時はマスメディア全盛期で今とは時代が違うとは言え、もし現代にフォレストがいれば、彼はきっと当時と同じように情報や人の目に流されない(何せ自分が歴史の1ページにいる偉大ささえ自覚できていないのだから)。
彼は、人の目や得な情報などによる「外発的動機」ではなく、幼い頃にママやジェニーから言われた言葉をバイブルとし、ただ自分が走りたいから走るなど、「内発的動機」によって行動するだろう。
きっともし彼が現代にいたら、この生産性信仰やタイパ主義の強い社会において、計画も立てず、戦略もなく、世間の「正解」を目指さず、しかし彼の持ち前の純朴さと優しさで幸福な生活を送っているに違いない。
20年以上ぶりにこの映画を見て、この高度情報化社会において、周りの目や情報過多による不安に惑わされず、もっと「自分の価値」を信じ、あれこれ考えず、「自分らしく」生きるべきだという今の社会へのメッセージを私は感じた。
最後に。「Make America great again!」。どこかの国の大統領は、このガンプが生きた激動の時代に、今、逆戻りすることを理想と考えているようだが、今にも通じるフォレスト・ガンプから教訓を得て、新しいステージの偉大な国を目指して欲しい。そして、日本にもこのフォレスト・ガンプのように、戦後からこの失われた30年までを庶民目線で総括でき、次のステージへ皆で踏み出せる一助となる大作ドラマ・映画が生まれてきて欲しい。