私が『桜の園』の存在を知ったのは、太宰治の『斜陽』がこの作品にインスピレーションを受けて書かれたという説からだったと思う。それでも、『桜の園』と『斜陽』は、かなり違う作品だと言える。
19世紀末から20世紀初頭に活躍したアントン・チェーホフは勿論、太宰治よりも前の世代であるが、ツルゲーネフやドストエフスキーよりも後の世代である。二度の世界大戦と原爆投下を経て書かれた『斜陽』にある種の「やつれ」を感じるのは納得がいくとしても、ロシア革命が差し迫っているチェーホフのほうがドストエフスキーなどより牧歌的に感じられるのはなぜだろう。嵐の前の静けさなのか作家の気質なのだろうか。
『桜の園』の登場人物は、没落する貴族も、時代に取り残された老僕も、新興商人も、共産主義に影響されたかに見える大学生も、そんなに悪い人のように描かれていない。桜の園を落札した新興商人のロパーヒンは、地主のラネーフスカヤ夫人に対して、土地を別荘地として貸し出せば競売を回避できると助言している。それでも、ラネーフスカヤは決断しないのである。
『斜陽』の上原は、「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」のコール(?)から推測されるように、自分は民衆の敵だという変なエリート意識を持っている。
ブルジョワ革命を通り越して共産主義革命を実行してしまう過激さがロシアの特徴でもあるが、一方でチェーホフもロシアで長く愛されている作家なのだ。