評者とルィセンコ論争との出会いは、シュレーディンガー著『生命とは何か』の訳者の一人、鎮目恭夫による新書版(1975年)へのあとがきだったと記憶している。
一般にルィセンコ論争は、ソ連の農学者ルィセンコによる獲得形質の遺伝を主張する理論が、マルクス主義のイデオロギーと結びついて、主流のメンデル・モルガン遺伝学を攻撃し、結局は敗れ去り、イデオロギーが科学に混乱をもたらした事件として知られている。
しかし、論争自体は最初からかなり入り組んでおり、ルィセンコ以前に1920年代にソ連で起きた論争では、“機械論者”が獲得形質の遺伝を肯定し“弁証法論者”がこれを否定している。
ルィセンコがソ連において台頭したのは1930年代であるが、日本でこの論争が活発化したのは第二次世界大戦の敗戦後、1950年代までである。日本でルィセンコ学説が急速に力を失ったきっかけの一つがソ連におけるルィセンコの失脚であることからわかるように、日本でルィセンコ学説を支持したのは基本的に左翼である。
ところが、すみわけ理論を提唱した生態学者の今西錦司は、ハイエクとの対談で指摘されたように、要素還元主義の否定、進化の歴史性の容認という、彼が毛嫌いするはずのマルクス主義者と奇妙な一致を見せている。
著者の中村禎里は元左翼であることを明かしているが、関係者がまだ現役であった時代(1960年代)にこのような書物を書き上げたことはまぎれもなく力作だ。
