【思想家の窓辺】10

最近、日本のジャズ喫茶をカメラにおさめた写真集が海外で人気を博しているらしい。版元はドイツの出版社で、写真を撮ったのは日本に二十年ほど住んでいた北アイルランド人の写真家。今では65ヶ国以上で発売されており、後になってようやく日本版が出たとのこと。本人いわく、スマートフォンなどの携帯情報端末によって疲弊している現代人が、それらのノイズをオフにして、ただコーヒーを飲みながら音楽に耳を傾けることを可能にする場所が日本のジャズ喫茶であるという。そしてまた、日常においてそういった選択肢を与えてくれる場所こそがジャズ喫茶なのだそうな。

あの独特な雰囲気に外国人が魅了されるのもわからなくはない。だが、少し美化されている気もする。ひと昔前の話では、偏屈な店主に希望の曲をかけてほしいとリクエストしたところ、「こんなの家で聴けよ」とボソッと言われたり、フリー期のジョン・コルトレーンがかかると、いずれの客も、両手を組み合わせ、目をつぶって神に祈りをささげるような仕草で聴いたりと、様々な逸話を聞くところである。少なくとも自分が客であったら、そこでコーヒーを寛ぎながら飲みたいとは思えないかもしれない。店と客との間で成立している様式美みたいなものが部外者を寄せ付けないのは、どの世界にもある話であろう。

さて、カフェやコーヒーを題材にした曲は多いが、カフェといって個人的に思いつくのは以下の二曲だろうか。いずれの曲も、先ほどの写真家が言うところの「ただコーヒーを飲みながら音楽に耳を傾けること」を可能にし、あえて物理的な空間を求めなくても、この二つの曲を聴いていれば概念上のカフェに深く没入することができる。

“Little Café Suite for Guitar” (Dusan Bogdanovic)

“Café” (Egberto Gismonti)

そんな自分にも行きつけのコーヒー屋がある。プレハブを改造したスタンドで、大概の客はテイクアウトでコーヒーを買うか、家で淹れる為の豆を買っていくかのいずれかだが、プレハブの横のドアを開けると、人間が二人ほど腰を掛けられるスペースがあり、常連はここで飲んでいく。知らない客同士が同じ空間を共有するわけでもなく、また長居をする場所でもないので、丁度都合が良い。自分の場合、仕事が煮詰まると、ここにエスケープする。

「いやー、ちょっとアイデアがつまっちゃってさ」

「それはつまるぐらいアイデアがあるってことですよ」

このように店主の返しも見事なものである。

“人には逃避できる場所が五つあればいい”といったようなことを何かで読んだ。「あえて物理的な空間を求めなくても、この二つの曲を聴いていれば概念上のカフェに深く没入することができる」などと偉そうなことを言っておきながら、やはり人恋しいのである。

くだんの写真集には、店主達の姿は写されているのだろうか。