テレビに映った小林カツ代さんのことを誤って、「あ、土井たか子」と言ってしまい、家人に「似てなくもない」と拾ってもらってことなきを得た。別に「ことなきを得る」ようなことは何もないのだが、この手のミスは時に大きなトラブルを招きかねない。
以前、とある国際会議の事務局にて、上司から会議プログラムの最終稿に目を通すよう頼まれた。出席者は上から序列ごとに記載されるのが常である。目をやると、当日のメインゲストである外務副大臣の名前が一番上にくるはずが、二番目である市長だかの名前と逆になっていた。「おや?」と思い、早速上司に報告すると、「あー心臓が止まるかと思った」と肝を冷やした様子であった。
トラブルになる寸前でミスに気付くのであればまだいいが、「時すでに遅し」というケースも多々あると想像する。書物における誤植などはその最たるものだろう。版を重ねる時に訂正は可能かもしれないが、ものによっては、ごく一部の人を除き、誰も気付かずに残っているものもあるはずである。
とある女性の医学研究者を専門誌で紹介する際、氏のプロフィール欄を校閲する目的で、大学の研究室のホームページを閲覧していた時のこと。専門家は何かしらの学会や組織に所属しているものだが、そのリストを見ていたら、次のようにあった。
「女性ヘスルケア委員会」
ガスの問題は、ご婦人とて同じということか。これは万人にとって悩みの種であり、自分を含め、ケアが必要なのは言うまでもない。後日、同じページを閲覧する機会があり、再度見てみたら、この点は修正されていた。きっと誰かが気付いたのだろう。あるいは本人かもしれないが、他人が指摘したとして、どのような言葉をかけたのだろうか。
「先生、ヘルスケアがヘスルケアになっています」
自ずとその時の先生の“気の利いた返し”を期待してしまう。
「そんなもの、屁の河童だわ。だって、あなた、“おなら”は室町時代に宮中に仕える女房たちが使った隠語なのよ?そんな私もオナラリー(honorary)委員よ」
ウィットで窮地を脱することができるのであれば“願ったり”である。しかし、本人の資質とは関係なく、どうしても、そうはいかない場合がある。
手前味噌(?)ではあるが・・・
筆者による誤植は、署名され、公印を押され、額縁に入れられて、どこぞの行政機関に今も高々と飾られている。
ミスの顛末、これも場合による。
