何でもかんでも創価学会だと言ったら陰謀論であるが、こちらは本人からのカミングアウトである。
正確に言えば、水谷修は創価学会員だとは言っておらず、公明党支持者である。
本書の前半、自分史を語る部分は、彼の活動を追ってきた人にとっては特段新しい情報はないと思われる。後半は、今、水谷修は公明党に恋をしているのだなと思わせる内容である。
2026年現在、公明党と立憲民主党の連携である中道改革連合の不人気ぶりを見ると、夜回り先生として一世を風靡した水谷修の時代とのずれを感じてしまう。
しかし、そもそも彼は左翼、カトリック、夜回り先生と遍歴して来て、今は公明党支持者なのである。
この本には、カリスマとしての夜回り先生ではなくて、迷いながら何かを追い求めて来た一人の男の姿がある。かつて彼に心酔した人も、アンチだった人も、その姿に接してみれば、一人の人間としての水谷修を身近に感じることが出来るのではないだろうか。
もはや水谷修は崇拝する対象でもなければ、倒すべき相手でもない。本人もどこかで言っていたが、夜回り先生は時代が求めたから存在したのだ。いまだに流転しながら、確実に老いている姿を見せてくれた水谷修こそ面白いと言えるのではないか。
