【思想家の窓辺】14

SNSを眺めていたら、エレキギターの修理工程をアップした動画が流れてきた。黒焦げになったギターをレストアするという内容で、ピックアップ(所謂マイクにあたる部分)のプラスチックカバーが熱で変形している。ハードケースに入っていたのか、楽器自体は炭化を免れたようだが、損傷の激しさは誰の目にも明らかである。

このギター、火事にでもあったのだろうか。

そう思い、ふと投稿者であるギター職人のプロフィールを見てみると、名前の隣に今では見慣れた青と黄色の国旗のアイコンが目についた。もしやと思い、改めて動画の解説を読んだところ、「ドローン攻撃で焼け焦げたESP製のカーク・ハメットモデル」と書いてあった。

彼女は夫とともにウクライナの首都キーウでギター修理工房を営んでいるらしい。戦時下にあって、ギターの修理が商売として成り立つのだろうか。平和な日本(今のところは)で暮らす自分はそんなことを思う。

一方、仕事の関係で個人的に聞いた限りでは、現地ではドローンの襲来、空襲警報、避難、身のまわりで誰かが亡くなることが常態化しており、そんな状況に対し、市民の間である種の慣れが生じてしまっているとのことであった。

ウクライナ市民はドローンの音を聞いただけで、それが敵のものなのか、あるいは味方のものなのかを判別できるという。太平洋戦争末期、爆撃機の音を聞かせて機体を識別させる訓練が我が国でも行われていた。多少の違いはあるにせよ、似たようなものを彷彿とさせる。

ウクライナ危機は、すでに先の大戦における独ソ戦の継続日数を超えている。爆撃を受けた楽器が修理に持ち込まれたとして、はたして「これもまた日常なのかな」とギター職人の彼女達は思うのだろうか。

いや、少なくとも我々は、その感覚が”普通ではない”と自覚できる世界を維持する必要がある。

物事に対する慣れ、それも場合による。