【思想家の窓辺】9

樽に剣を刺して、海賊と思しき黒ひげの人形が飛び出したら負け ― この単純なゲームを玩具メーカーのタカラトミーが世に送り出してから半世紀。このほど、その販売五十周年を記念して、純金製の『黒ひげ危機一発』が売り出された。価格高騰が続く金よろしく、その値段も百九十八万円(税込み)と高額である。

少なくともこの半世紀の間に子供時代を送った世代は、「樽と黒ひげ」のセットが深層心理に刷り込まれているのではないだろうか。海賊船に樽が積んであるのはデフォルトであり、何ら違和感を覚えないのは、幼少期に玩具やテレビから受けた影響が大きいように思う。

しかし、問題は、海賊とセットで扱われる樽の中身である。あの樽には何が入っているのだろうか。個人的に想像するのは酒類だが、樽は樽であって、その中身に考えが及んだことはあまりなかった。

石油の単位に「バレル(樽)」が用いられるのは、かつて石油を樽に入れて運んだ名残りらしいが、そのほかにも果物から、糖蜜、魚、鯨油、火薬にいたるまで様々な物が入れられていた。

先述の通り、樽と聞いて、酒類が真っ先に思い浮かぶのは酒飲みの性分である。

特定の樽で熟成させ、その樽ならではの香りと風味をつけることが標準となっているウィスキーだが、この工程は、そもそも密造の摘発を逃れる為に、酒を樽に隠したことに端を発している。今ではバーボンやシェリーを一度貯蔵した樽をあえて使い回し、その独特の風味をウィスキーにつけることが一種のスタンダードとなっている。

さて、そんな樽であるが、ここにきて、ウィスキーのみならず、この“かつて別の酒類を貯蔵していた樽を使って酒を熟成させたり、風味をつけたりする試み”が、ビールや日本酒の間でも行われるようになってきた。

もっとも、ビールも日本酒も貯蔵にはかつて樽や木桶が用いられていたわけで、現在においても、樽や桶自体を自社製造する酒類メーカーが一部存在する。また日本酒を製造する傍ら、ウィスキーも製造するメーカーの中には、日本酒の木桶で熟成させたウィスキーを販売したり、ビール業者とウィスキー業者が互いの樽を交換しながら酒を仕込んだりする試みが行われている。

ちなみにイギリスを代表する『ミニ・クーパー』という自動車があるが、その名前は製作者の一人、ジョン・クーパーに由来するものの、本来、”cooper”は「樽職人」を意味する名詞である。

そんな中、一つ思い付いたのは、酒以外の用途に用いられていた樽を使って酒を熟成させる試みである。

ウィスキーの場合、「シェリーカスク」や「ラムカスク」のように、元々入っていた酒の名前を、樽を意味する「カスク」と併せて、何の樽で熟成させたものなのかを示す。

これが例えば、「火薬カスク」だと危険かもしれないが、木桶で仕込む食品から連想して、「味噌カスク」や「醤油カスク」などがあれば面白いかもしれない。今の時代、火薬を樽で保存するのかどうかはさておき、濃厚な味噌や醤油の風味とウィスキーの相性は、わるくないのではないだろうか。

個人的に最も興味があるのは、「ディオゲネスカスク」である。古代ギリシアの哲学者・ディオゲネスは、*樽をねぐらとし、浮浪者同然の生活を送った奇人として知られている。

ディオゲネスは、白昼堂々、公衆の面前で自慰行為に耽り、「金もかからず、これほど満たされる行為はない」と言ったり、日向ぼっこをしていたところ、訪ねてきたアレクサンドロス大王に、「何か欲しいものはないか」と問われ、「あんたがそこに立つと太陽を遮ってジャマなので、どいてくれ」と伝えたりと、逸話にこと欠かない。

黒ひげの黄金の樽に酒を入れても味も素っ気もないかもしれない。

一方、強烈な香りがしそうではあるものの、ディオゲネスが暮らした樽で熟成させた酒には、何だかご利益がありそう(あるいは全くなさそう)である。

追記:*日本語では「樽」と訳されているが、ディオゲネスが住処としたのは正確には「甕(かめ)」であったとされる。尚、近年では木樽で熟成させた後に、素焼きの甕(アンフォラ)で追熟させるウィスキーなども造られている。