【思想家の窓辺】8

「そこでそれを食うか?」-そういった類の食べ物がある。決してそうすることが無粋だとか、そういった話ではない。食べた場所が地理的に間違いだったというケースである。それも、時と場合によっては、その行為が自分の意志によるものであったり、そうでなかったりする。

個人的に思い出される例がいくつかある。

まず、スイス・ジュネーブで食べたエビチリ。周囲に海がない国で食べる魚介類は、想像してみれば、美味いわけがない。にも関わらず、出張中、たまたま入った中華料理屋でエビチリを見つけ、何も考えずに頼んでしまったのが運の尽きであった。冷凍物だと思うが、それにしても臭いエビで、あれは“海のないところで魚介類を食うべからず”という鉄則を、身をもって知った一つの重要な学習体験となった。

ちなみに中国・ウイグル自治区出身の友人によれば、海がない同地では、現地語であるウイグル語にも、魚類を表す言葉は、「魚」しかないらしい。つまり、鯖も、鰯も、鮪も、ただの「魚」ということになる。稚魚と出世魚で名前が変わる日本とは大違いである。

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次に、子供の頃、当時通っていた英国の現地校からスキー合宿で仏・アルプスに行った時の話である。国は違えど、アルプス山脈といえば、概ね、ハイジが子ヤギのユキちゃんやペーターと一緒にピクニックに行くようなイメージではないだろうか。お弁当に持っていくのは、おじいさん自家製の黒パンとチーズ、そしてサラミである。

しかし、とある日の夕飯時、深々と雪が降り積もるアルプスのコテージで、「今日はみんなのお待ちかねの一品よ!」という先生の一言とともに運ばれてきたのは、おじいさん自家製の黒パンでもチーズでもなく、遠く離れた海からやってきた生ガキであった。どうもイギリス人である先生方の頭の中には、「フランスといえばカキ」という固定観念があったらしい。当時は酒を飲める年齢でもなく、味についての記憶はない。真冬の雪山で、なぜか皿に盛られた生ガキを静かに見つめていた。

しかし、なぜこの記憶が強く印象に残っているかといえば、同じ頃、自分以外の家族はポルトガルに旅行中であり、美味しくて新鮮な魚介類を毎日堪能していたからである。食べ物の恨みはおそろしい。今でもこのことを根に持っている。

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ところ変わって、インド。国内でも最も貧しい地域の一つとして知られるビハール州には、お釈迦様が悟りを開いたとされる仏教の聖地ブッダガヤがある。そんなブッダガヤだが、四半世紀以上も前、寺院が立ち並ぶ市街地を除いて、郊外には貧しい農村地帯が広がっていた。そんな片田舎にある掘っ建て小屋のような食堂で、ラーメン(らしきもの)を食べた。なぜそんなところで飯を食べたのかといえば、そこ以外に食事を提供している店がなかったからである。地元のインド人がインスタントラーメンを現地風にアレンジして出していた。

カウンターに座ると、隣では、韓国から来た中年の尼僧の一団が大声でおしゃべりに興じながら、料理を待っていた。そんな彼女たちのハングル語に耳を傾けながら、運ばれてきた自分の麺に目をやる。次の瞬間、生唾をごくりと飲み込んだ。食べ物を前に、空腹や期待感からではなく、覚悟から唾を飲んだ経験は後にも先にもこの時だけであった。

ラーメンのどんぶりの縁には、十数匹のハエが半円を描いてとまっていた。ハエたちによってメタリックグリーンに縁どられたラーメンどんぶりは、きっとフチ子さんにとっても顔面蒼白の光景だったに違いない。仕方なく蓮華を手にした僕は、ハエたちとどんぶりの中の一杯を分け合った。一方の尼さん達は、ハエの集団など気にも留めず、豪快に食べ物を口に運んでいた。大層な食べっぷりで、殺生などどこ吹く風。なんだか世俗的な光景であった。

『インクレディブル・インディア』というインド政府観光局の公式スローガンに偽りはない。ハエと韓国の尼僧の記憶が鮮烈過ぎて、味についての記憶がないのは、アルプスの生ガキと同じである。

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また、「そこでそれを食うか?」とは逆に、「そこではそれを食うのが妥当ではないか?」が見事に覆されることもある。

勾配の急な坂が海を見下ろす北カリフォルニアの港町、サンフランシスコ。彼の有名なフィッシャーマンズワーフのほど近くに、ノースビーチというイタリア人街がある。イタリア系移民が経営するレストランが軒を連ねる一角である。

三泊四日の予定で南カリフォルニアから旅行に来ていた僕と連れ合いは、その日、イタリア料理を食べにこの一角に足を運んだ。ガイドブックであらかじめ目星をつけておいた雰囲気の良さそうなレストランに向かうと、店の外で、何やら店主と思しき男が、隣の店の店員と大声で言い合っていた。英語ではなく、イタリア語でだ。

我々がテラス席に着くと、先ほどの店主がメニューを持ってきて、次のように告げた。

「あいつの店はイタリア料理と称してはいるが、作っているのはみんなメキシコ人なんだ。うちは違うぜ」

「ふーん」と肩をすくめた後、さして気にも留めず、僕と連れ合いはワインと一緒にパスタやサラダを頼んだ。フィッシャーマンズワーフに来たのならばと、そのうちの一皿はボンゴレビアンコだった。

テーブルにともされた灯りは、ランプシェードが素敵だった。少しずつ日が暮れて、辺りが暗くなった。初夏の夜風が心地よい。

しばらくして、料理が運ばれてきた。店主の弁とは裏腹に、料理を運んできたのは明らかにラティーノと思しき店員だった。訝しがらなかったわけではないが、空腹だった我々は早速パスタをとりわけ、口に運んだ。

「ジャリ、がりがりがり」

これほど砂抜きのできていない魚介類のパスタは、家庭でも食べたことがない。そんな代物だった。

後日、フィッシャーマンズワーフで、カラマリ(イカフライ)などを摘まんだ際にも、我々の予想は覆された。魚介類全体が臭く、漫画『美味しんぼ』で読んだ話(第15巻参照)が本当だったことを知ることとなった。

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自分の想定を超えていたものほど記憶として残るのは、食べ物とて同じことであろう。味覚が呼び起こす記憶には、特定の場所と結びついているものがある。「そこでそれを食う」-この行為の持つ意義とは、自らに対して、追想の鍵を与えることに他ならないのではないだろうか。