” L’amour fou ” 直訳すれば「狂ったような愛」。ベタベタなラブソングである。
伝統的な価値観は薄れ、それに代わる規範を見つけられずにいる現代社会、陰謀が陰謀論を追い越し、国家や大企業が平然とモラルハザードを起こすような時代だからこそ、愛を語ることが求められている。
オジー・オズボーンが亡くなった。ダミアン浜田やイングヴェイ・マルムスティーンは健在だが、現実の方が闇落ちした現在では、露悪的な演出はエンターテインメントとして成り立たなくなってしまった。ひとつの時代の転換点を今、我々は生きていると言ってよいだろう。そんな時代だから、愛を語ることがファンタジーとして成り立つ。
” J’irai retrouver tout ce que j’ai raté avec toi
Et je te donnerai tout ce que je n’ai pas fait pour toi “
“君とやり損ねたことすべてを探しに行くよ
そして、君にしてあげられなかったすべてのものをあげるよ”
どこか別の次元で和解がなされ、すべての後悔が解消されるこの世にはないどこか別の場所がある。それがフィクションであっても、そのような祈りをすることが意味がないとは思わない。
“愛は言葉だ。おれたち、弱く無能なのだから、言葉だけでもよくして見せよう。”(太宰治『創生記』)

