『アポロの杯』 三島由紀夫

『アポロの杯』は、三島由紀夫が昭和26年12月から昭和27年5月まで、横浜港から出発してアメリカ(ハワイを含む)、プエルトリコ、ブラジル、スイス、フランス、イギリス、ギリシャ、イタリアを旅した時に発表した文章を朝日新聞社から出版したものである。岩波文庫版『三島由紀夫紀行文集』には、『アポロの杯』を始め、その他の紀行文も収録されている。
『アポロの杯』では、三島はこの旅で「感受性を濫費してくるつもり」だったと言うが、当時の日本の読者にとっては珍しかったであろう外国の舞台や映画、美術品について彼が語る時の「こってり」感は、過剰な感受性を吐き出した結果なのだろうか。読者にとっては食傷気味である。
注目すべきは、彼にとってはつまらなかったらしいパリ(勿体ぶって書けば巴里)での文章である。彼が見物したシルク(サーカス)から連想して、彼の芸術論が語られる。ここで、三島は芸術を精神の曲芸と見なしていることがわかる。狂気の淵まで行ってみて、そこで平衡を保つのが芸術だと言うのだ。
評者の考えでは、曲芸的でない美はあると思うが、三島由紀夫の常軌を逸脱した死に方を見ると、それが精神の曲芸を行った結果、向こう側に転落したのだと合点した。彼にとっては、芸術とはある種の病気であり、余計な感受性を吐き出すことが創作だったのだろう。それが美に値するのかは、彼自身が最も悩んだ形跡がある。