桃の視点:
わたしは――桃。
どこで生まれたのかは、もう覚えていない。
目を開けたときには、冷たい水に抱かれ、静かな流れに身をまかせていた。
水はやさしく、風は心地よく、太陽はまぶしかった。
けれど、胸の奥には、なにか…言葉にならない衝動のようなものがあった。
――まだ、ここで終わってはいけない。どこかへ行かなければ。誰かに会わなければ。
「どんぶらこ、どんぶらこ」と、流れは止まらず、私の旅も続いた。
川岸には、草花が揺れ、時おり鳥たちが空を横切る。誰もわたしに気づかない。
それでも、私はじっと、ただ前へと運ばれていった。
そしてある日。
彼女が現れた。
白い髪に、やわらかな手。ひとりで川辺にたたずみ、黙々と布を洗っていた。
その瞳には静かな光が宿り、まるで長い年月を超えて、わたしを待っていたようだった。
わたしの流れに気づいた彼女は、目を大きく見開き、そっと声をもらした。
「まあ、なんて大きな桃……」
彼女は微笑んだ。
その笑みに、わたしははじめて知ったのだ。ああ、この人だ。この人に会うために、私は流れてきたんだ。
「おじいさんに食べさせてあげよう。」
――食べられる?
その言葉は、どこか奇妙で、少し怖かった。けれど、なぜか温かくもあった。
わたしは運命を知っている。食べられることが終わりじゃない。
それは始まりなのだ。
彼女の手に抱かれ、わたしは空を見た。
青空が広がっていた。雲が、ゆっくりと流れていた。
そうだ、これがわたしの役目。
今から、何かが始まる。
