『恋しさとせつなさと心強さと』 篠原涼子 with t.komuro

小室哲哉作詞・作曲の本作品。評者が気になった語句は、“やりかけの青春”である。
やりかけの青春をやり直したいのかというと、そうでもないらしいのである。
“永遠を夢見ていたあの日を今 もう2度とくりかえさずにもどらずに生きること”
“出来なくてあこがれて”なのである。
やりかけの青春をやり直したいという気持ちになりがちなところを、断ち切りたいらしいのである。
“でも少しずつ理解ってきた戦うこと!!”

たしかに、何かのきっかけで過去の自分を葬り去り、今の自分は今の自分で良いのだという境地に達すること。それが、大人になるということでもあるのだろう。
しかし、この過程をずいぶんこじらせた歌詞だなあ、という印象である。
今の言葉で言えば、「こじらせ女子」だろうか。当時、30代後半にもなって、こんな歌詞が出て来る小室哲哉のこじらせぶりは相当なものである。
思えば、小室自身、いわゆるリア充ではない。大人になってから、自分より若い人を集めてプロデュースし、パーティーピープルな日々を送ったのは、彼らを通じて自分が出来なかった青春を再現していたように見える。
では、その先は見つかったのだろうか? 遅ればせながら青春を謳歌した後の彼は、音楽家としての創作の源泉を失ってしまったように見えるのだ。