『サヨナラ、学校化社会』 上野千鶴子 太郎次郎社エディタス

マルクス主義フェミニズムの重鎮、上野千鶴子の著作。近代に出現した学校というものが、国家に従順な国民をつくるための装置であると説いている。
そして、学歴による社会階層の振り分けと再生産が、「がんばれば上にいけるが、がんばらなければ下になる」という優勝劣敗のイデオロギーによって正当化されているという。
さらに、この学校的価値が学校以外の社会にも浸透していったのが「学校化社会」である(この用法は宮台真司によるものらしい)。
ここまでは、もはや定説ともいえる主張であるが、学位を、そのあとの職業の手段になる生産財から、愉しみのための消費財にすることを提案しながら、次世代型の情報生産性の高い人材育成を論じたり、第4章で学校を知育だけにダウンサイジングすることを提案したそばから、第5章で「偏差値四流校」の学生にどんな状況でも生きていける知恵を授けた話を披露するなど、散見される矛盾を味わえるのが本書の特徴である。
そして、著者は「学校的価値を内面化した」優等生だったと言うが、“大学の授業は「出なくて単位とるのも芸のうち」”とか“そうやって毎週飲んだ連中と、私はいまでもつきあいが続いています”とか“人は「オン・ザ・ジョブ」でしかなにごとも学べない”などの物言いを目にするにつれ、この人は昭和のオヤジ的価値も内面化してしまったのだなとしみじみ感じるのである。