『シーシュポスの神話』 カミュ 清水徹 訳 新潮文庫、新潮社

アルベール・カミュが「不条理」について述べたもの。
さて、不条理とは、「精神が生きてゆくのに必要な眠りを精神から奪ってしまうこの測り知れぬ感覚」「幻と光を突然奪われた宇宙のなかで、人間は自分を異邦人と感じる」この感覚だそうだ。
カミュによれば、不条理は「この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態」である。人間の理性でこの世界を理解することを放棄した状態は、不条理ではないのだ。
ここから彼は、ヤスパース、ハイデガー、キルケゴール、シェストフなどの哲学者が、不条理という砂漠から出発して、そこにいることに耐えられず、神という希望に飛躍してしまうこと、不条理から逃げ出してしまうことを指摘する。
更に、小説の世界でも、ドストエフスキー、フランツ・カフカも、不条理を扱っていながら神という永遠のもの、普遍的なものに帰って行くという。
不条理を生きるとは、どういうことか? ギリシャ神話のシーシュポスは、岩を山の頂上まで押し上げてはそれが下へ転がり落ちるという意味のない労働を課せられている。そして、それを意識している。これが、不条理な英雄であるという。