『鏡子の家』 三島由紀夫 新潮文庫、新潮社

鏡子という、家持ちの離婚した女の家に集まる青年たちを描いた小説である。
収は俳優、夏雄は画家、峻吉は拳闘家(ボクサー)、清一郎はサラリーマンである。
この小説は、1959年に発表されており、三島由紀夫が学生運動にちょっかいを出したりする前の作品であるが、面白いことに、三島自身が辿る道が登場人物の中に既に表れている。しかも、それはある種の狂気として描かれているのだ。
収に筋肉養成術を説く先輩の武井は「新興宗派の伝道師のよう」であり、夏雄は神秘主義に傾倒しかけ、峻吉は拳闘家を辞めてから、信じてもいない思想団体に入会する。
戦後の復興を覆うほの暗さを見逃さなかったのは、作者の素質である。「この世に生きる値打のないこと」を確信している高利貸しの醜い女社長は、オウム真理教的なものの到来を予見しているかのようである。
それにしても、この小説の登場人物は、どれもこれも妙に捻くれていて可愛げがない。清一郎は世界の崩壊を確信しながら出世に邁進するし、鏡子は、家庭生活に戻るのに「邪教」を信じなければならないらしい。だからと言って、単純に出世したり家庭生活を送っている人よりも一段高い所にいるとでも思っているのだろうか?
思えば、三島由紀夫自体、明るいバカでもなければ脱俗した仙人でもない。何だか面倒くさい奴だよ。