「不良とは、優しさの事ではないかしら。」これは、太宰治『斜陽』の中の言葉である。
この言葉から受け取る印象は、様々であって当然である。曰く、「昔ヤンチャしてたことを自慢をする大人は痛い」とか「不良が更生したら褒められるのに、ずっと真面目にやって来た人は何とも思われない」など。
しかし、純粋すぎて世の中と相容れずグレてしまった、というフォーマットが、尾崎豊、氣志團に受け継がれることになる、日本人の何かを刺激してしまう定番の型であることは確実だ。
“とにかくもう 学校や家には帰りたくない”(氣志團『One Night Carnival』)
これは、もちろん尾崎豊『15の夜』へのオマージュである。
おしゃれな音楽を聴いて、知的な本を読んでも、つい尾崎豊の、のた打ち回るような歌い方に心動かされてしまうことはないだろうか?
尾崎豊もバイクを盗むことをそそのかしたつもりはないだろうし、太宰治も『斜陽』を書くことで、大酒飲むことや不倫をすることを勧めた訳でもないだろう。
「不良とは、優しさの事ではないかしら。」これは、読者への優しさである。小説読んで、説教されたくないのである。
太宰治は、『正義と微笑』の中でこう言っている。「かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった!」