『世相』 織田作之助

終戦直後に書かれたこの作品は、もちろん創作であるが、私の知らない時代の世相を映し出しているのだろう。ここで描かれる世相は、隙間風の吹くような寒々としたものだが、何かとても正直な「やらかした」感があるような気がする。
織田作之助が死に、太宰治が死に、田中英光が死に、日本が主権を回復した後に登場した作家たち、石原慎太郎や大江健三郎の書くものが何とも下品で陰惨なのは、幕末の開国から太平洋戦争の敗戦に至る日本の失敗を「復興」でうやむやにした戦後の欺瞞をそのまま体現しているからだろう。
“それは日本が敗戦に象徴される黒船以降の欧米に対する鬱屈したコンプレックスを一気に解消すべく、我々の上の世代の人間が神風のように猛然と追い続けた、繁栄という名の、そう繫栄という名の、繁栄という名のテーマであった”“そして我々が受け継いだのは豊かさとどっちらけだ”(『ガストロンジャー』)とエレファントカシマシが叫んだのは、二十世紀も末だった。
その豊かさも怪しくなり、「唯一の被爆国」とか言って被害者ぶっていたのに、自分の国の原子力発電所で再び被爆してしまった二十一世紀前半の日本では、終戦直後に描かれた世相が現代的に映る。織田作之助の描くものは、本人曰く「放浪的」であり、「良家の子女が読んでも眉をひそめないような」ものではないが、その描写は気弱で慎ましい。

当サイト編集長。 エンジニア、デザイナー、物書き、編集者、アマチュアギタリスト。

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