『パンク侍、斬られて候』 町田康 角川文庫、角川書店

町田康の作品を批評するのは、野暮なのだろう。もっともらしい解釈をしてみても、そんな予定調和をひっくり返すのが PUNK だという気がするからだ。
でも、敢えてその野暮をやってみようと思う。『パンク侍、斬られて候』にしても、一応、次のような説明が出来る。
物語の冒頭、掛十之進は巡礼の父娘を斬りつけ、父親の方を殺してしまう。その後、能う限りの狼藉、荒唐無稽、傍若無人ぶりを発揮して、最後、娘に仇討ちにされる。この時、娘の発した言葉に結論めいたものを読み取ることが出来る。
大筋では、そうなのだが、この作家の魅力はもっと細部に宿っている気がするのである。その才能が大いに発揮されるのは、道中の PUNK ぶりにある。例えば、こんなところである。少しだけ引用させてもらおう。
“あのとき、笛で無茶苦茶にどつき回された差オムの懐から注射器が落ちてがしゃんと割れて、その瞬間、脇にいた差オムの弟、まだみっつくらいだったのが、わっ、と泣きだして、そのとき俺は世界が哀しみに満ちていることをはじめて知ったんだ。”
あるいは、腹ふり党の元・大幹部、茶山(差オム)の説く教義“では僕らはどうすればこの世、この穢れた虚妄の世から真実真正の世界に向けて脱出できるのか。それは僕らが文字どおりの糞となり果てることです。”
こういうところに、筆のノリを感じるのだ。