『Dancer in the Dancer』 ゲスの極み乙女。

ゲスの極み乙女。が意外と硬派だなと思うようになったきっかけがこの曲である。
“日常に飽きたサムライの真似事 よしとこう 僕はよしとこう”
これは、市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した某作家に対するなかなかの突き方ではないだろうか。
“死と接触することによって生の輝きを発見し、生のかたさ、強さを発見するという行動が、自由自在に行われないような時代や社会、端的に言えば戦争や開拓や冒険に満ちていない社会、”
“緑の芝生に赤いお屋根、マイホームのために人間は死なんよ。人間は目に見えるもののためには死なない。人間ってもっとスピリチュアル(精神的)なものだ。”
(三島由紀夫『若きサムライのために』

このような生の不安の解消の仕方は、川谷絵音の流儀ではないらしい。
“結局何かを信じて踊ろ 結局何かにすがって踊ろ”
なのだそうである。
“Dancer in the Dancer”
例えば、我々人間はゲームの中の登場人物で、そのゲームをプログラムした神の手のひらの上で転がされている、などと考えてみる。
“踊らされながら夜を描く 今日もまた言葉が浮かんでは 歌になって空に昇る 美しいんだ”
これが、川谷絵音にとっての救いなのだろう。