実際にあったという「河内十人斬り」事件を題材にした小説。
ここで描かれる城戸熊太郎は、世界と自分、言葉の齟齬に悩む人物で、何かと歯車が狂って、犯罪に手を染め、極道者になってしまうのである。
これは、『パンク侍、斬られて候』で人間の言葉を喋る猿、大臼延珍が言うところの自分と世界と言葉によってできたもうひとつの世界という、著者にとっての積年の課題なのかもしれない。
物語の後半、洞穴の中で熊太郎は、弟分の弥五郎にこのバラバラを説明しようとするが、これも伝わったのか分からない。熊太郎が人生の節目節目で信じた神話あるいは信仰も、事件を起こした後では嘘だったかもしれないと感じる。彼は、「言葉が伝わらない」ということに安住してまった人物と言えるかもしれない。
と、このように形而上学的な解釈も出来る物語であるが、この作品でも町田康の魅力はもっと細部に宿っている気がするのである。例えば、山狩りをする警察の会議での水澤検事と安井保安課長の会話
「うん。まあ僕もこの方法ではまずいとおもう。しかし、それ以外に方法と言うとにわかには思いつかない…」からの
“そう思うからわしらが今日、山行ったんやんけ。ほんであかんかったからどないしょう言うて会議してんのに、このおっさん、人の話なに聞いとんねん”